映画「おくりびと」には、自分の感情や意思に似ているような石を探して、相手に渡すという場面があります!何かそんな感じだったので、一生「金色の石」は実家に鎮座することでしょう。あくまで実家ですが。
2010年8月31日火曜日
石は意思
忘れることもありますが、遠出した時はその土地の石を少しだけもらって帰ります。左上がニース、右上がマルセイユ、右下がエトルタ、左下はパリのリュクサンブール公園です。
リュクサンブール公園で拾ったのは石ではなく陶器の破片です。アトリエのフランス人彫刻家のおじちゃんはこういうのに詳しく、見せるとローマ時代のものだと言われました。その人は文様のあるものやコインなどもその公園で見つけていました。ロマンですね、ロマン!
大学生の頃、誕生日プレゼントとして同級生が金色に塗った5キロほどの石をくれました。しかも木製の台座付きで・・・。ギャグみたいなものなので、当時は正直いらないとも思いましたが、未だに実家で保管しています。容易に捨てられるものではないし、いい想い出です!
2010年8月29日日曜日
2010年8月28日土曜日
オープニングパーティー
2010年8月25日水曜日
南仏の旅 Ⅳ
エズからそのままバスでモナコに行きました。正式名称、モナコ公国。フランスのひとつの都市のようですが、東京ドーム41,5個分の世界で2番目に小さい国です。
モナコと言えばリッチで華やかなイメージです。それもそのはず、国民総所得は国連加盟国でトップだそうです。観光とカジノの国で、他国からの移住者は億万長者ばかりだとか・・・。それには理由もあって、この国は個人移住者に対しては所得税ゼロ。でもお店を開いている人とかは、税金代わりにと割り切ってマフィアにお金を払うそうです。
人口は3万人ほどですが、どう見ても3万人以上住んでそうなほどの建物です。別荘として使っている部屋が多いのかもしれません・・・。
大公宮殿。モナコ公国歴代大公の居城です。

金持ちの自慢の品をただ写真撮って・・・特にすることもなくブラブラしただけでした・・・。でもこの船はカッコよかったです!こう見えて20メートルくらいある巨大な船です。ケタ違いのセレブっているんですね。
余るほどのお金がないとすることないです・・・。








2010年8月24日火曜日
南仏の旅 Ⅲ
続いてニース。カンヌ、モナコはちょっとセレブっぽいし、マルセイユは治安が・・・ということでニースが一番良かったです。
ニースの旧市街。店も夜遅くまで開いており、祭りのように賑わっていました。

ニースとモナコの中間からちょっと山手の方にエズという村があります。別名「鷹の巣村」とも言われているようで、晴れていれば海も見渡せる絶景だったのですが、あいにくの雨・・・。しかし雨は雨で趣があって綺麗でした。
敵の侵入を防ぐために巡らされた城壁内は小路が入り組み、とても雰囲気の良い所でした。雨と時間帯も早かったおかげで観光客も少なく、静かで癒されました。何事もプラス思考です!ちなみに亡霊のように写ってるのが僕・・・。




エズはお薦めです!次回は南仏の旅完結、モナコです。











2010年8月23日月曜日
南仏の旅 Ⅱ
2010年8月22日日曜日
南仏の旅 Ⅰ
南仏に行ってきました。パリ郊外の小さな空港から、まずはマルセイユに向かいました。航空会社にもよりますが、早くからネットで予約しておくと航空券が格安になります。マルセイユまで1時間半ぐらいだったと思いますが、なんと日本円で2000円しないくらいです。もちろん預け荷物や機内での飲食は別料金ですが。
マルセイユ。かつて港町として栄え、航空機時代が来る前の船が主流だった時代は、日本からヨーロッパへの表玄関はこのマルセイユだったようです。
船に乗って、周辺の島を巡りました。天気も良く暑かったのですが、最高の眺めでした。

マルセイユ港の沖合5キロにある、イフ島のイフ城です。1531年に完成した要塞ですが、牢獄として使用されていたそうです。


マルセイユは決して治安の良い場所ではありません。夜にもなると怪しい空気が漂っていました。他の都市など、徐々にUPしていきます。







2010年8月16日月曜日
バルセロナ Ⅳ
【サン・パウ病院】
現在も診療が続いている病院ですが、世界遺産に登録されています。1902年~30年に建造された病院で、「芸術には人を癒す力がある」という信念のもと建てられた病院です。
とても広大な病院で、ムデハル様式を採用しているそうです。

正面、メインホールです。
【王の広場】




ゴシック様式の建物で囲まれた広場です。正面が王宮で、バルセロナ伯爵の館として使われていたそうです。左が副王の館、右がアガタ礼拝堂。階段が見えますが、新大陸発見から戻ったコロンブスが、女王に謁見するために上がったそうです。
【ピカソ美術館】

細い路地にありました。ピカソは14歳の時に、父の仕事の関係でバルセロナに移り住みました。この美術館はピカソが9歳の頃からの作品が展示してあり、20世紀現代美術の巨匠だけあって、幼少の頃からの表現や技術の早熟ぶりには驚きました。
夕方に行ったのですが、すごい行列でした。館内は撮影禁止でしたので、外の写真だけです・・・。
ピンチョと言われる、パンに様々な具を載せたバスク地方のタパス屋です。バルセロナには、パンには載っていなくても、こうしたタパス屋が多くあります。
飲み物は注文しますが、あとは客が移動して目当てのものを取って食べる方式です。最後は飲み物もタパス(爪楊枝の数)も自己申告での会計です。



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